「嫌い」という言葉を使わないことについて

ネットで「嫌い」「使わない」を検索したところ、子育てにおいて「嫌い」を使わなかったときの様子が書かれたブログが見つかりました。

その中には子どもが酷い言葉遣いをすることがなかったとありました。

 

違う意味で「嫌い」を使わなかった私ですが、確かに「死ね」とか「うざい」とかそういう言葉は決して使わなかったです。今、入力していても、使うのになんだか力の必要な言葉です。頭の中に浮かばない感じでした。そういう面では良かったのかな?と思います。

 

小学校の頃に何でも「いいよ」とばかり言っていた時期がありました。クラスメイトから「嫌だったら断らないと」と助言をして貰った記憶があります。でも、そんなに「嫌」と思ってなかったです。だけど、それからちょくちょく断るようになっていきました。誰かの助けになることとか、誰かに必要とされたかったのだろうか?

恐らく親から必要とされたかったんだろうと今なら思います。

くさい言葉ですが、「愛」を感じたかったのでしょう。

アドラー心理学には「親からの愛から逃れるには、自分が誰かを愛すこと」というものがあるそうです。

親に愛があっても、それが子どもに感じられなかった場合、その子どもは誰かを愛することができるのか?それが不安です。

私の母親は子育てにおいて長女を担当したから、父親に私を任せたようです。でも、記憶の中では特にそんな風には思いませんでした。なぜなら、基本一番近くに居たのは祖母だったからです。

両親との記憶で一番古いのは、保育園のとき、保育園が開いてないくらい朝早くに連れて行かれて、両親はどこかへ出かけたという記憶です。保育所の裏の駐車場の縁石に座っていた記憶。多分保育園の先生が来るまでさみしかったと思います。

小学校低学年のときに、たまに父親の車で二人でどこかへ行く時がありました。時々車の中で2時間くらい私だけで居たことがあります。おそらくボートレースに行って

いたと思います。

小学校3年の頃、母親から子どもを作るつもりではなかった。これから地球が滅んでいくのに、産んだ子どもが大変だと思ったから。結婚もする気がなかった。けれど、結婚したから、子どもを作った。という話を聞かされた。そのとき、私は自分が生まれてきたことが間違いだったと感じました。なぜそう感じたのか。恐らく母親の話し方にあったのだと思います。一度も「産んでよかった」という言葉を聞いたことがないから。存在意義の否定をされたと、この頃は感じたのでしょう。

その頃でも母親と接した記憶がほとんどありません。そんなものなのでしょうか?平均を気にしても仕方ないですが・・・母親は保育士をしていたし、帰りにどこかへ寄ってから帰ってくるので、20時を過ぎることが多かったです。仕事のストレスをお金を使うことで晴らしていたようです。今でもそうですが。

私は小学校の頃、結構な悪い子でした。自分の立場に危険が及んだので、悪いことはやめました。そこまでしないと、気付けなかった自分を馬鹿だと思います。この頃の後悔から、自分は汚れてしまった。幸せになってはいけないし、なれないと思い始めます。実際に、そう思うに値することをしてきたので・・・

中学校のときに、宿題で親に言いたいことを書いてくるというものがありました。母親がよく買い物をすることは、友達にも知られていました。「あそこでも見た」「ここでも見た」と・・・それが嫌だったし、多分まだそんなに母親を嫌っていた訳ではなかったので、早く帰って来て欲しいと書きました。でも、そんなことは伝わるはずもなく・・・そのまま何も変わりませんでした。

それから高校2年くらいまでは、何もしませんでした。高校2年のときに、たまに母親の財布からお金を盗っていました。その最後の一回に盗ったお金が、母親が出席する食事会の会費だったようで、怒られました。「恥ずかしかった」と。「そんなにお金が欲しかったの?」と聞かれました。本当はそんなに欲しいものではありませんでした。未だになぜそんなことをしたのか不明です。

最後の家族旅行の思い出は高校生の時でしたが、あまり記憶にないです。

社会人になってからの旅行の記憶もあまりないということなので、興味がないのだろうか?と思ってしまいます。心が揺れてないのかな・・・こなしているだけなのかな。楽しむって何だろうと思うことが多いです。

大人になってから母親とケンカをしました。お金の貸し借りについてです。実家には母親と姉と弟がいます。祖母と父親は他界しています。私は一人暮らしです。その私に何度かお金を貸してと母親から電話があり、貸していました。が、返すと言いつつ、また上乗せして借りようとされ始めたので、怒りました。すると、親の恩を理由に論理が破綻したことを言い始めました。私がお金を貸さなくなったのは、こっちでの生活のせい。私たち子どもに不自由のない生活、進路を提供してきた。私に対しては育児はしてないけど、お金は提供してきた。だから、お金を出せ・・・あげくの果てに、昔はそんな子じゃなかったと言われました。これが一番相容れないところです。自分の言うことを聞く人が優しい子で、そうじゃないのは悪い子らしいです。おまけに、私が一番自由だと言ってきました。

話をするって大切です。ここまで心が離れるまでに話をしてこなかったから、ツケが今来ています。かと言って、今から話せるほど私の心は広くありません。これからも多分しないんじゃないかな・・・

このケンカをするまで、人生においての選択肢を勝手に母親から見た自分の理想像を描いていました。実際にはそんなものなかったのに・・・子どもの親から認められたいという欲求は恐ろしいです。そして、現実は自分が納得するものではなかった。自分で選んだけれど、そこには一切「こころ」がなかった。大学も学校の先生になろうと思って入りました。が、教育実習に行き、自分から行動するような性格ではない自分には無理だと早々に諦めました。勉強もしてなかったし・・・体裁を保つために、試験だけ受けました。

今の仕事に就いた後、何度か警察官になろうと試験を受けましたが、いつも面接で落ちました。警察官はなんとなくで受けていたので、情熱はなかったです。情熱を向けられる仕事をしたいですが、今まだ見つけられていません。見つけられない時は、定時で帰られて、そこそこ貰えればいいです。ちょっと諦めの人生に片足を入れている感じがします。

 

ここまで書きましたが、私は自分の今の状況がすべて母親のせいだ!とは思っていません。選んだのは自分というのは変えられないから。自分の本心を全くわからず、また、知っていても知らないふりをして、隠して・・・そうして今の自分のこころを作ってしまった。言いたいことを言わず、我慢して終わる。漫画やアニメや小説によくいる、笑いたくないときに笑っていたり、もじもじしているだけの内気な登場人物です。引っ込み思案すぎて、イライラされるんだろうな。

 

よく親に恩返しをしなさいという言葉を目にしたり、耳にしたりします。が、今の私の状況ではできそうもありません。

愛のない親はいないらしいですね。あなたのためを思って・・・が時に子どもを攻撃してしまっているのは、そのままの子どもを見ていないからなんだろうか。自分の想像の中でしか考えられないですが。

行動が愛から発生するものでも、伝わらないと意味がない。言葉でも1%伝わればいい方らしいです。違う人間同士が分かり合うというのは奇跡なんでしょう。

ましてや、普段から接点がなければ、分かり合うなんてできません。

私は親を尊敬はできません。親を好きにもなれません。友達としても嫌です。実家に帰ることもありません。今は会いたくないですし。貸したお金を返してもらっても、無理です。電話は今のところ、お金を返してもらうまで、出ないつもりです。母親と向き合うのは、疲れます。

 

そんな風に考える私は、母親にはならない方がいいのだろうか。自分の中には新鮮な感情がないし・・・そして、もしも親の性質を受け継いでいるのなら・・・

反対に、私がこの流れを変えることができるのかも知れない。

やってみないとわからないけれど、後悔をするのかも知れない。

 

とその前に、まずは相手ですね。

そもそも、その相手を「好きだ」と認識できるのか不明・・・

本音を言い合える仲なんて、そう簡単にできないし・・・みんなすごいな~

そして、自分が幸せになってもいいと思えないと、ずっと献身し続けるような気がします。

心の問題は厄介です!