『怒ることで優位に立ちたがる人』を読んで

『怒ることで優位に立ちたがる人』(著:加藤諦三)を読んだ。

結構内容がハードで、読み進めるのに時間がかかりました。

前半は神経症者の分析、後半は実際に自分が神経症者だったときの対処方法と、そうではないときの対処方法が書かれていました。

この本を手にとったときは、怒る人の考えがわからないので、それを知りたいと思ったからでした。しかし、この本を読んだ後、自分が「怒り」の感情を抑圧していたことを知りました。そして、それは自分自身を見ていない状態であることを示していました。他者からの評価を気にするあまり、自分の感情を抑圧し、意見を言わずに内々に怒りを知らないうちにため込んでいる・・・

本の内容をそのまま受け取ると、子どもの頃の親とのコミュニケーションに問題があったようです。

思い起こせば、初めて嫌な思いをしたのが、4歳くらいのときでした。アンパンマンの絵を画用紙に書き写したときに、親からとても褒められました。その後、自由にしていいということで、当時、私はダンゴムシがとても好きだったので、ダンゴムシとその動きを画用紙に書き込みました。アンパンマンの周りにミチミチに書きました。それを意気揚々と見せたら、「なんでそんなことしたの!」と怒鳴られました。私は階段まで逃げて、泣いた覚えがあります。そのときに、多分初めて怒られることの恐怖を知ったと思います。怒られることは嫌われることと・・・そして、その後、自分が怒ることもダメなことなのだと思うようになったのか、怒ることを抑圧していました。加えて「嫌だ」と表現するのが嫌になったのか、頼み事をされたときは断ることをしませんでした。

子どもの頃の親との思い出はあまりなくて、祖母との思い出は小さいながらもたくさんあります。だけど、楽しかったという思い出はあまりありません。親との思い出でも、楽しかったことを覚えていないのはなんだか悲しい気がします。心から笑ったことってあったのだろうか・・・

小学校時代は、暗黒の時代でした。もしかしたら抑圧された感情が原因だったのかも知れません。クラスメイトを巻き込んで、問題のある行動をしていました。クラスメイトからは直接は言われてないけれど、多分気づいている人も居たと思います。今の私にはとてもじゃないけど、できないことです。小学校の同窓会には行けないです。みんなに嫌われたくない・・・んだろうな。バレるのも怖くて、行きたくない・・・というのもある。

中学校・高校は大人しく過ごしました。ただ、親からの評価は気にしていたと思います。大学を選ぶときは、無難なところを選びました。したいことを選ばずに。勝手に想像した親からの要望に応えようとして勉強したけど、身に入るはずもなく、普通のところに行くことになりました。小学校のときから、将来の夢は「会社員」とか書く、夢のない子どもだった。保育園のころは、みんなに合わせて「ケーキ屋さん」と書いたような気がします。夢・・・全くなかったんだなぁ~

他の心理学的な本にも、今の自分の心の状態には親の影響があるという内容が書かれています。が、すべて親のせいにしてもいいのか?と思ってしまいます。そうするように選んだのは自分ではないかって。だから、この本にあった自分で解決する方法で、少しずつ怒りを認めていかないといけない。そう思います。

怒りがない人なんていない。怒りが悪いんじゃなくて、怒りを隠して、怒りを溜め込んでしまうのがいけない。断る勇気、伝える勇気、認める勇気。それらが私には欠けている。神経症者とまではいかないけれど、時々とても小さなことが気になるときがある。気になるとやらずにはいられない、本能のようなものがそうさせています。今はまだ堪えられるけれど、いつか爆発したら・・・と思うと怖いです。

精神の逞しさは私にはないです。著書にあった、「人に見せるための人生から、自分が生きるための人生」にしたい。怒りをごまかさずに、ちゃんとした優しい人になるために、自分の負の感情を知り、認める。そうやって生きて行こうと思います。