『毎年、記憶を失う彼女の救い方』(著:望月拓海)を読んで

この本の著者は「愛」をテーマにして、小説を書いています。

そして、何より読みやすい。これは出版社のおかげでもあります。

本の字体というのはホントに大切です・・・

 

ということで、「愛」とはなんぞやということです。以前『義母と娘のブルース』でも書かれていましたが、相手を自分のことのように(あるいはそれ以上に)考えて、何でもしたいということなんだと思います。「思います」というのは、私がまだ「愛」をわかっていないからです・・・「与えられたから、与えられる」のだろうか?

 

今ふと思いましたが、私は自分がみんなに与える影響を大きく感じているところがあります。そんなことないのにですね。自意識過剰なんだろうな。そのあたりはやはり大人になりきれてない。

そういうところが、「みんなの役に立つ」という大きなことに対して、気にしすぎるところにあるんじゃないかと思う。考え方をミニマムにするところはしていかないと、自分の輪郭がぼやけたままになりそう。

自分を知るには他者が必要です。他者とは仕事で毎日会ってはいますが、深くはないので、ただの通りすがりみたいに思います。それを「一期一会」みたいに思える人をうらやましいなぁと。多分私がそれをすると、キャパオーバーになります。ノートとか作り出して、データ残して・・・みんな同じように。

そういう意味では、色んな人と深いつながりを持つのは難しいんだろうな。

よく常連のお客様と話をしているお店が紹介されていたりします。サプライズパーティーとか。そういうのって、すごいです。

・・・そうやってうらやましく思っている間は、「自分ではできない」ということを自分に言い聞かせているだけなのかもしれないですね。結局は「面倒」とか「疲れる」という言い訳をして・・・

でも、そういう「面倒」とか「疲れる」ことってしなくていいのかも?と思います。

ただ、やってみてから判断しないと、思い込みで終わります。

そういう意味では、今の仕事をしていて楽しくないのは、向いてないってことなんだろう。恐らく。

好きなことして生きたいです。