積み立てNISA口座開設

SBIネット証券に口座を開設しました・・・

簡単と書いていましたが、疲れました!

1時間くらいかかった気がします・・・

 

野村證券とかにしようかと思いましたが、株投資を考えるにあたり、ネット証券会社に作ることにしました。

もしかしたら大損するかもしれませんが、NISAと併せてしてみようと・・・

以前FXで失敗したので、今度は少額から始めます・・・

 

さて、どうなるかな~NISAは大丈夫と思います!多分(笑)

勇気とは・・・!

今日は店長に「みんなの前で注意しないで欲しい」ことを伝えようとしましたが、できませんでした・・・

 

職場までの電車で決意をしていたのに、実際言うとなると、緊張してダメでした。

また違う機会に・・・言えたら・・・

自分を守る大事なことなので、フィードバック面接のときにでも言うかな・・・聞いてくれるかは不明ですが、やってみないことには始まらないですよね!

はてさてどうなるか・・・

 

今日は早口を直すことについても考えていました。もしかしたら、話すこと自体に緊張しているのではないだろうか?と。実は自分の意見を言うことを怖がっているのではないか?と。否定されるとか、聞いてくれないんじゃないかと思ったりするからかもです。それが習慣化されて、実際そう思ってないのに早口になる・・・とか。

行動が先か、感情が先かは場合によると思います。早口は行動からでもいけそうな気がする!

息をしっかり吸って、言葉を出そう。普段息を吸ってない気がする。腹式呼吸、してないわ!瞑想してないわ!

「二兎追うものは一兎をも得ず」・・・1つずつ確実にする方が習得するのが早いかもですね。

教え方は千差万別

今日は店長から、パートさんの前で「社員がもうちょっとしないといけないよ」的なことを言われました。

私はみんなの前で何か指導されるのは、かなり嫌です。

店長はやってもらおうとして言っているのだろうけれど、逆効果です。むしろやらせようという感じが出すぎていて、従おうという気が減退します。

個人的に言うかどうか迷います。

人によって、教育方法は変えた方がいいと思いますが、そこまで親しいわけでもないので、無理かな~

私もきっと同じようなことをしているのかも知れませんし・・・

私への指導の正解は、やってること前提で、こうするともっと良くなるよ~という風にしてくれたら、気持ちよくやれると思います。

ちょっと面倒かもですね(笑)

否定から入られるのが無理です。しかもみんなの前で言われるのが無理!

店長とは一緒に仕事をして3ヶ月ですが、店長も私のことをよく見ている訳ではないし、私も店長のことを見ている訳ではないので、やはりここは個人的に言うしか・・・

察してくださいは流石に丸投げしすぎなので、不満があるなら言わないとですね。

こういうところがまだまだ心臓が小さいと思うところです。

 

話は変わって、今日食べたカップ麺の「坂内食堂喜多方本店中華そば」が美味しかったです。「豚の旨みがきいたあっさりスープ」というフレーズに塩味が結構追加されて、いい感じでした。麺は麺職人には及びませんが、それなりに美味しかったです。サッポロ一番の商品は、ほとんど食べたことがないですが、これは当たりでした!

期間限定だったのが惜しいところです・・・もうちょっと買っておけばよかった!

「いつもの」もいいですが、たまには冒険してみなきゃです。良い出会いをしました。カップ麺とですけど(笑)

映画『ツレがうつになりまして。』を見て

「うつ」という病気の症状を文字で見たことはありましたが、映像で見るとよくわかりました。

独り暮らしの人が「うつ」になったら、終わりかなと思いました・・・

家族とか、配偶者とか・・・そういう人の手助けが必要です。

「あ」「と」「で」は覚えておかないとなぁ~

 

ときどき気分が沈むことがありますが、映画を見る限りでは「うつ」ではなさそうです。普通なのかもですね~ちょっと安心しました(笑)

 

今自分が楽しいかどうかは、自分が作り出していると思います。

楽しみたかったら、楽しめるようなことを考えます。

楽しみたくないときは、楽しめない状況を自分で作っている。

なぜ楽しみたくない状況を作ろうとしてしまうのだろうか。

今の状況を受け止められないからだろうか。

ひねくれているからだろうか。

ふてくされているからだろうか。

誰かの言うとおりに動くからだろうか。(特に嫌な人)

すべて自分以外の何かのせいにしたいからだろうか。

「でも」とか「だって」とかの言い訳をしているのだろうか。

自分の意思を言ったとして、それがどうなるかが怖いとか?

楽しむ価値がないと思っている?

自分が楽しんでいる状況を許せない?

 

こういう風に考えていくと、自分が普段「楽しもう」という姿勢で物事を考えいないということに気づきます。「なぜ」の理由が多いのは、悲観的だからだろうか?

自分はプラス思考だと思っていましたが、実際は違うのかも。

石橋を叩いて渡るような気がします。最悪なパターンを想像して動いているような。

 

「楽しむ」とか「楽しみ」とか、そういったことをしたいな。そうするには、自分の意識を変えないとですね。結構かかりそうです(笑)

『毎年、記憶を失う彼女の救い方』(著:望月拓海)を読んで

この本の著者は「愛」をテーマにして、小説を書いています。

そして、何より読みやすい。これは出版社のおかげでもあります。

本の字体というのはホントに大切です・・・

 

ということで、「愛」とはなんぞやということです。以前『義母と娘のブルース』でも書かれていましたが、相手を自分のことのように(あるいはそれ以上に)考えて、何でもしたいということなんだと思います。「思います」というのは、私がまだ「愛」をわかっていないからです・・・「与えられたから、与えられる」のだろうか?

 

今ふと思いましたが、私は自分がみんなに与える影響を大きく感じているところがあります。そんなことないのにですね。自意識過剰なんだろうな。そのあたりはやはり大人になりきれてない。

そういうところが、「みんなの役に立つ」という大きなことに対して、気にしすぎるところにあるんじゃないかと思う。考え方をミニマムにするところはしていかないと、自分の輪郭がぼやけたままになりそう。

自分を知るには他者が必要です。他者とは仕事で毎日会ってはいますが、深くはないので、ただの通りすがりみたいに思います。それを「一期一会」みたいに思える人をうらやましいなぁと。多分私がそれをすると、キャパオーバーになります。ノートとか作り出して、データ残して・・・みんな同じように。

そういう意味では、色んな人と深いつながりを持つのは難しいんだろうな。

よく常連のお客様と話をしているお店が紹介されていたりします。サプライズパーティーとか。そういうのって、すごいです。

・・・そうやってうらやましく思っている間は、「自分ではできない」ということを自分に言い聞かせているだけなのかもしれないですね。結局は「面倒」とか「疲れる」という言い訳をして・・・

でも、そういう「面倒」とか「疲れる」ことってしなくていいのかも?と思います。

ただ、やってみてから判断しないと、思い込みで終わります。

そういう意味では、今の仕事をしていて楽しくないのは、向いてないってことなんだろう。恐らく。

好きなことして生きたいです。

 

手塚治虫記念館へ行って

昨日、手塚治虫記念館へ行きました。

入場料は700円で、かなりお手頃価格でした。

手塚治虫の幼少期からのノートなどが見られて、面白かったです。名前に「虫」を入れるくらい虫好きで、スケッチがすごく細かくて、本物みたいでした。授業のノートの文字も細かく、丁寧で、きっちりしていたんだなぁと思いました。医大を卒業していたとは知らなかったのですが、大学生の間でもマンガを描いていたとは驚きでした。

マンガの出版についても紹介されていました。今とは違って、初めから単行本を発売していたので、一発勝負みたいな感じがしてスリリングだなと思いました。

マンガを描く人はすごいな~と思います。

手塚治虫はアイデアは売るほどあるけれど、悩んだりして、なかなか進まないと嘆いていたそうです。また、自分の絵の才能の無さにも悩んでいたそうですが、あの特徴的な絵を描かれていて、才能がないと思っていたとは・・・理想が高かったのだろうか?勝手な私の想像ですが。

それにしても、アイデアは売るほどあるっていうのがすごいです!私はそんなにアイデアが浮かばない方なので・・・

手塚治虫のマンガには、人の心理(真理)みたいなものを強く感じます。欲に飲まれてはいけない・・・というような。「平和を作るためには」というようなテーマも感じられます。

2階には、手塚治虫のマンガの蔵書があり、読み放題でした。ずっと居ていいなら、買ったら一冊600円くらいするマンガを700円で読み放題・・・お得です・・・!!

火の鳥』や『ブラック・ジャック』とか読みたいです。

ちょっと遠いのが難点ですが(笑)

どこかで「読書は本の作者との対話」と聞いたことがあります。そう思うと、なんだか作者と会ってないのに、親近感が沸いて来る気がします。

やはり本はただ読むだけだと、もったいないんだな~。何かを自分が得ているのか・・・それが明確にはわからないけれど、どこかで覚えているのだろうか?

大事なことは一度書いた方がいいかも知れません。

以前していて、止めてしまったけれど、またノートにまとめてみようかな。

『友だち幻想』(著:菅野仁)を読んで

本屋でタイトルに惹かれて手に取り、購入しました。

帯には「「世界一受けたい授業」で又吉さんが紹介して大反響!!」という文言があり、ちょっと手に取りにくかったのは愛嬌ですかね。

 

内容を見ると、小学校高学年や中学生、高校生向けで、他人とは何か?や、他人との距離などがわかりやすい文章で書かれています。

大人になった私にとっても、この本の内容は実になるものでした。学生生活の大半と、社会人になってからの少しだけ「みんな平等!」という意識を持っていた私には特にぴったりです。今は多少「公平」に近くなりましたが。

「みんな平等にしなきゃ」という意識は小学校3年か4年頃に思いました。学校ではみんな仲良くが求められていました。「嫌い」だと仲良くじゃないから、「苦手」と置き換えてまで、目指していました。

が、本当はそうではなく、お互いが傷つかない距離を探るのが大切でした。最低限の付き合いにとどめられるように・・・

そして、私はどこかで自分と他者をごちゃまぜにしていました。本当の相手を見てきませんでした。自分と他者は同じ感覚だと無意識に思って、守るルールや考え方も同じと思っていました。社会人になっても、その性善説みたいな意識は変わりませんでした。

私は私をそんなに悪い奴とは思ってなかったというのもあります(笑)

本当に100%自分と同じ感覚になる人はいません。私の「楽しい」と他者の「楽しい」は違います。他者とはわかり合えたように思えて、完全にはわかりあえていません。わかりあえたというのは、勘違いです。この勘違いに気づかずにいると、「好き」が「嫌い」になったり、「いじめ」に発展する関係になったりします。

だけど、私は他者と理解し合いたいし、信頼したいです。自分を受け入れて欲しいということを表す言葉が「絶対受容」というそうです。私もどこかで、自分を丸ごと受け入れてくれる人がいたらなぁ~と思います。が、そうではなく、「理解しようとしてくれる人」を見つけないといけないようです・・・!!

「丸ごと受け入れる」のと、「理解しようとしてくれる」のでは、少しニュアンスが違います。だけど、私は「理解しようとしてくれる」方が好きです。理解できないことがわかっている今だからそう思うのかも知れません。理解できないことがわかっていても、努力する・・・してくれるって、嬉しいです。だから、私も「理解しようと」します。全員は無理だから、2人の友達から・・・です!