凝り固まる人とそうでない人

人は思い込みをします。平均が何なのか、常識が何なのか。自分の生きてきた中で、その平均や常識を作り、それから外れるものはすべて自分の都合の悪いものだから排除する。もしくは、相手に自分のルールを強要させようとする。

たいへん見苦しいと思います。

スーパーで働いていると、他のところはこんなサービスが・・・と色々言われます。

私の務めているスーパーはクレジットカードが使えない代わりに、商品売価に還元させています。それを使えるようにすると、価格が高くなります。それでもご利用頂けるならしますが、そうは問屋は卸しません。

なので、経費で削れるところはとことん削る。その為にお客様にご協力頂いています。

むしろ納得しないなら、来ないでくださいと思います。お客様の要望に応えすぎると、すぐに赤字になり、倒産します。

スーパーはたくさんありますから、好きなところに行ってもらったらいいです。

いまやコンビニレベルで近いところに競合店ができてますから。

資金がどこまで持つのかですね。お互いの長所短所を上手く補え合えたらいいのですが。

とりあえず、自分ルールでお店の運用を変えたく思っている方は、思慮が足りないし、精神的に幼いです。何の違和感もなく受け入れてくれる方でも考えている方は少数ですが、そちらの方は広い心を持っておられるな~と思います。何も考えてないということもありますが。

敷地内のルールはお店にあります。郷に入ったら郷に従えです。私がスーパーの店員でなければ、何言ってるの?と突っ込みたくなります。

「当たり前」が何なのか。考えて頂きたいです。

 

テーマ「誰かの役に立つ」

誰かの役に立ちたいです。世界の中の1人だという実感や、自信が欲しいから。社会で生活をしているだけで、人に関わって生きています。食べ物を買ったり、電気を使ったりなど。自分は小さな1人だけれど、その中で他の人に影響を与えるなら、プラスのことでありたい。自分が世の中に関わることがプラスになるなら、それがいい。ありがとうはなくていい。自己満足で身勝手でいい。大抵自分が気になってしまって、ほっておけなくてしてしまうのだから。仕事中でしてしまうと、お金をもらっているからするということになってしまう。だから、仕事以外で、無償で何かをすれば、誰かの役に立つことに対して心が満たされるのではないかと思う。無償でできることをするには、仕事に関係ない時に外出して、心を確かめてみよう。

誰かの役に立つ・・・よく考えたらちょっと傲慢ですね。