自分を見つめるのは難しい

心理学や哲学などで、自己をどう見るかについて論じられています。

が、本当の今の自分を正確に見るというのは、とても難しいです。

そもそも心はどこにあるのか?ということについては、まだわかっていません。

ホントに別のところに人の意識の集合体があって、そこからの電波を脳で受け取り、私という人格ができているのだとすれば、心は人の意識の集合体の中にあるのか・・・

今そういうことを考えているときには、両耳・・・右よりの耳あたりの後ろの方で考えが浮かんでいるように感じます。気のせいかもですが(笑)そこに私の心があるのだろうか?自分の思いに反応するところが、そこなのだろうか?

 

私は自分のしたいことがわからないので、友達と遊びに行くときに、「ここに行きたい」とか「行ってみたい」とかの意見は出しません。流されるまま行って、ついでに行けたらいいや~という感じです。それでも許してくれる友達で良かったと思います。

自分から遊びに誘うことは昔からなかったので、今もそのままです。

誘って面白くなかったらどうしようという気持ちがあります。私と居て、つまらないと思われることが怖いのかな。でも、そうだとしたら、誘ってくれている友達は私を誘わないのではないだろうか。ということは、友達は私といることを望んでくれているってことなのだろうか?私は反対にその友達と居たいと思うから、一緒にいるんだろうか・・・そうじゃなかったら、どうしよう・・・ただの自己満足になってしまうのではないだろうか。

私の人付き合いのスタンスは、曖昧なんだろうと思います。

今日本屋さんで買った『友だち幻想』(著:官野仁)を読んだらわかるのだろうか?

もしくはもっと本質的な問題なのだろうか・・・回避性愛着障害だったりとか・・・

考え続けることが、自分の姿を知る第一歩だといい。

初1人カラオケ

結構前にカラオケに行きたいな~と思いましたが、ぐうたらしている間に今日になりました。

入るまでは勇気が必要でしたが、カウンターで受付を済ませると、もう何も思わなくなりました。

人って意外と人のことを見てないというのは真実です。

一人カラオケも結構浸透してきてたのもあるのかな~とも。

久しぶりのカラオケでしたが、2時間にしました。事前にリストを書いていたので、その中で色々選びました。そこでわかったことは、やはり合う歌、合わない歌があるということです・・・!事前に初めて歌う歌の歌詞と曲調はなんとなくインプットしていたはずなのに、全くダメなものと、歌えるものが分かれました。全くダメだったものも、努力すれば歌えるようになると思いますが・・・次回に期待かな~

早口のものはちょっと苦手でした。あと、はっきりしないリズムのものと。

小学生のときにクラスメイトから「音痴」と言われてから、歌うことに丁寧さと正確さを求めてしまって、楽しんではなかったです。多分クラスメイトも正直に言っただけで、私がこんな風になるとは思ってもいなかったんじゃないかな?そう思うと自分も気をつけないとと思いますが、それで何も言えなくなるのは違うんだろう・・・で、本来は「音」を「楽」しむのが音楽です。今日は誰の目もあまり気にせずに歌えました。失敗した~とか、ここ音わかんない~とか思いつつ、色々歌いました。

2時間は私にとってはちょうどいい感じでした。それで680円とは、ジャンカラやるべし!会員だと、もう少し安くなって600円かな。支払いは自動精算機になってました。リロクラブの券を出すタイミングがわからなかったから、次は始めに出してみよう。

歌い終わった帰り道は、意外と爽快でした。

「大きな声を出すと、ストレス発散になる」とどこかで見た気がします。

勇気を出して行ってよかったです。

自分の中での初めての行動をすることが、最近全くなかったので、いい刺激になったんじゃないかなと思います。おひとり様を楽しみ始めて大丈夫だろうか(笑)

頭の中の言葉について

今日は仕事中にイライラする状況が多く、頭の中で「来るなー」「邪魔だー」とか思ってました。確か、この言葉を頭の中で浮かべる間に、6万回くらい言葉を頭の中で繰り返しているらしいです。

そもそもサービスカウンターにずっと居て、シフトや色んな資料を作ること自体がどうなのかと思ったり・・・ここは抜本的な改革が必要だと思います。といいつつ、楽したい~というのが本音です。

何か集中してやっている最中にチャチャ入れされると、イライラします。が、一応は対応します。そのときの私の状態は、基本的に「無」を意識していますが、本当は目の前の人には関係ないな~と思うのがベストでしょう。

イライラを別の関係ない人にぶつけても仕方ないです。

そういうときに瞑想!深呼吸!

余裕を持った心にしたいです。

 

ふと今まで自分が努力したことってなんだろうと思いました。保育園の時にぶら下がって、前に進む遊具(うんてい?)をなんとか渡りたくて、チャレンジしていたことが最後かもしれません。それからはある程度で終わっていたと思います。

なぜ挑戦をしなくなったのか不明です。何かしら挫折したのかな?挑戦しても報われないと思ったのかな・・・とすれば、アンパンマンの絵を描いたときに加えたダンゴムシかもしれないです。

夢や希望もなかったかな~保育園の時でさえ、みんなと一緒のケーキ屋さんで、小学生のときは社会人だった。夢な~い。

今からでも遅くないかな、夢を見るのは。

夢中になれる何かを見つけるべし!ですね!

『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』(著:Jam 監修:名越康文)を読んで

周りから見て、私はプラス思考に見えるらしいです。が、ホントのところは、今まで深く考えてこなかったから、立ち向かってこなかったから、プラス思考に見えるんだと思います。真剣に自分のことを考えてのプラス思考ではないので、なんちゃってプラス思考です。

実際内面を見ると、どちらかと言えばマイナスのように思います。人からの評価におびえて、勇気もなくて、挑戦もしなくて、流される・・・うん、マイナスだ。

 

私はSNSに興味はない・・・といえばちょっと嘘ですね。

繋がりたいけど、怖いから、繋がらないままこうして日記をここに書いています。

私は誰かに評価されたいのだろうか?

・・・というよりも、私が何かをしていたことを残したいから、書いている。という方がしっくりきます。自分の存在意義を何か形にして残したいという欲求ですね。自分にそんな影響力はないだろうと思いますが、何かしら得られるものがあるならいいな~と。それが反面教師であっても私は構いません。できるなら、ほんの僅かでもいいから明るい方に進んで欲しいと思います。自分が何かしら影響を与えたとして、プラスの方へ行ってもらえたら、と。それは私にはどうすることもできない範囲外のことなので、ちょっとおこがましいですが、そうあって欲しいです。これができてないから、今が不満なんだろうか・・・でも、このことについて、私ができることは何なのかは思い浮かばないです。それが何なのかわかれば、解決するんだろうか?結果はわからないけれど、見つけたいです。

やりたいこと、やりたい!

そして、この本を読んで気づいた・・・瞑想してない!!

アニメ『月がきれい』を観て

中学3年生ってすごいな~と思いました。

想いというのは続くものですね。

現実にありそうな雰囲気の話だったので、入り込みやすかったです。

純文学というものをあまり読んでないのですが、読みたくなりました。

 

小説は主にライトノベルを読んでいます。時々恋愛ものを読んだりミステリーを読んでみたりしています。たまに自分の好みから外れてしまうことがあるのが残念です。他の方には面白いと感じるんだろうなと思うと不思議です。

 

まれに「パクリ」とか「オマージュ」などの言葉を使って、評論されるときがあります。むしろ私は書いてるときに、よくそんな言葉が使われていたことを覚えていたなぁ~と感心します。私は全くそのような言葉について覚えたりしないので・・・

一種の才能だな~と!

そもそも1から話を作るときに、今までに読んできたものの印象を交えずに作る・・・なんてことができるのか疑問です。

本当のオリジナルとは何なのだろう。

感じた気持ちだろうか?考えた言葉だろうか?

本物と偽物、どっちがどっちなんだろうか?

と考えていると、頭の中がぐるぐるします。

共感については、自分と似たような経験や考え方と出会ったときに得られます。それは私にとってのオリジナルであり、その人にとってのオリジナルです。全く同じ気持ちはないと私は考えていますが、だから共感ができないということにはならないと思いたいです。だって、さみしいから。結局人はひとりだなんて考えたくないです。どこかでふれあっていたいです。お互いに相手の気持ちを感じ合いたいことが共感と思います。(辞典ではどうか知りませんが(汗))

でも、上手くできないから、諦めて、自分を納得させる言葉を自分につぶやいて、動かないということが多くあります。

拒否されるのが嫌で、臆病なのでしょう。だから、いつまでも一人なんだろうな。周りに人が居ても、一人だと感じるのは、壁を作ってたりするんでしょう。A.Tフィールドですね。

何の話でしたっけ・・・オリジナルの話でした!

自分という存在は、誰かから何かを得て自分を判断することで知っていきます。オリジナルが何か?は難しいです。どこかで影響を受けているんだから。

そう思うと、意図的であったり、丸々盗んだんじゃなかったら、大丈夫な気がしてきます。意図的でも、読者や観ている人と「こんなのあったよね」と共感することが目的であったらいいような気がします。私個人の考えですけれど。あ、もちろん、使うときは元の人の許可があった方がいいと思いますよ。著作権は権利です。楽しんで貰おうとして、怒られたらショックです。

今度本屋さんに行ったときに、純文学を一冊買ってみようかな。

感情の遅延について

今日の「ホンマでっかTV」にて、植木理恵さんが言っていたことに「なるほど~」と思いました。

「感情をすぐ出す人と、後から思い出して色々考えてしまう人がいる」という話でした。

感情をすぐ出す人は、人と会った直後に話題を振ったりしないそうです。

後から思い出して色々考えてしまう人は、反対に、「今日は〇〇ですね」などの様々な話題を話すそうです。

自分に当てはめると、初対面の人と会うときには「自分から話さないと!」みたいな義務感で話すことが多いです。普段友達と会うときも、同じように何かしら話しているような気がします。

そして、実際に何かしら言われたときに、その時は何も思ってなくても、しばらくしてから「ああしておけばよかった(ああ言えばよかった)」など後悔や反省をすることが多いです。夜にイライラして寝られないときも、時々あります・・・このイライラしている時間は自分の時間じゃないからもったいない!と思うのですが、なかなか難しいです。

最近感情について考えることが多いのですが、感情を遅れて感じてしまうのはどうしようもなさそうな感じがします。それが性質なのかな?

 

もう一つ、「傾聴」についてもありました。

「傾聴」は、話をただ聞くだけではなくて、その人が話したがらないことに気づくことだとの説明がありました。そして、それについて質問はせず、話してくれるのを待つのが大事とも言っていました。話してくれた時点で、その人の中で大きなことだったものが、小さくなったんだと思えばいいんだそうです。

「傾聴」は奥が深いです。どうしても気になったら訊いてしまいそうになります。このあたりがまだまだです。

実際自分が話すときにどうかと言うと、全くその通りだなと思います。

自分の中で重要だったり、大きなことと思う内容は話さないです。相手に気にして欲しくないとか、質問して欲しくないと思っていることは、自分から話題にしないです。相手から質問されたら、ほっといて欲しいと思いつつ、渋々話す感じになります。

そう考えると、普段の自分は大丈夫かな?と思います・・・配慮がないんじゃないかとも思います。

そういえば、「悪口」を言う人は配慮のできる人とも紹介されていましたが、それは、普通の人限定です・・・そして、普通じゃない人の「悪口」はただ単に自分が正しいという見せしめであったり、自分を敬えという主張なので、質が悪いです。その中に相手はいません。

この点に関しては「ホンマでっか!?」です。

自分ではどうかなと考えるきっかけがあるので、この番組は好きです。

内容が諸説あるので、鵜呑みにしてはいけませんが。

 

感情は遅れてでも感じることができるなら、それを大事にしていかないとですね。

素直に「ありがとう」が言えるときが来るようにしたいです。

使う言葉によって、変わるもの

今日は台風だったけれど、出社しました。

そして、まさかの通常営業。

一応車で送っていただき、帰ることができました。

が・・・これは「B」の付く企業ではござらんかと思う。

「利用されるお客様が、開いてなくて残念ということがないように」らしいですが・・・それは利用されるお客様に、ここは「B」の付く企業ですよ~と言っているようなものでは?と思います。

従業員に優しくないと、みんな逃げますよ~

 

ということで、これは否定的な言葉遣いで書きました。

実際、こういうテンションで仕事をしていたので、今日は笑顔がなかったです。

 

ここで、言葉を変えて書いてみると・・・

今日は台風でしたが、出社しました。

山間のお店ですが、ちかくに土砂崩れをするところや、川もないので、安全に居られました。食料もたくさんあるし、何があってもなんとかなりそうです。

通常営業だったので、安全なところに居られたと思います。

帰りは足がなかったので、閉店までになりましたが、車でお家まで送っていただけました。

停電にもなっていなかったし、良かったです。

 

となります。

少しいい日だったように思えてきます。

良いところは見つけづらいですが、見つけたいものです。

が、くれぐれも「ごまかす為に探す」というようなことにはならないようにしないと、身が滅びます・・・

今が最良ではないと思いますし。

だけど、その最良を引き寄せるには、きっとプラスの言葉を遣うことが大切なんだろうな。