アニメ『月がきれい』を観て

中学3年生ってすごいな~と思いました。

想いというのは続くものですね。

現実にありそうな雰囲気の話だったので、入り込みやすかったです。

純文学というものをあまり読んでないのですが、読みたくなりました。

 

小説は主にライトノベルを読んでいます。時々恋愛ものを読んだりミステリーを読んでみたりしています。たまに自分の好みから外れてしまうことがあるのが残念です。他の方には面白いと感じるんだろうなと思うと不思議です。

 

まれに「パクリ」とか「オマージュ」などの言葉を使って、評論されるときがあります。むしろ私は書いてるときに、よくそんな言葉が使われていたことを覚えていたなぁ~と感心します。私は全くそのような言葉について覚えたりしないので・・・

一種の才能だな~と!

そもそも1から話を作るときに、今までに読んできたものの印象を交えずに作る・・・なんてことができるのか疑問です。

本当のオリジナルとは何なのだろう。

感じた気持ちだろうか?考えた言葉だろうか?

本物と偽物、どっちがどっちなんだろうか?

と考えていると、頭の中がぐるぐるします。

共感については、自分と似たような経験や考え方と出会ったときに得られます。それは私にとってのオリジナルであり、その人にとってのオリジナルです。全く同じ気持ちはないと私は考えていますが、だから共感ができないということにはならないと思いたいです。だって、さみしいから。結局人はひとりだなんて考えたくないです。どこかでふれあっていたいです。お互いに相手の気持ちを感じ合いたいことが共感と思います。(辞典ではどうか知りませんが(汗))

でも、上手くできないから、諦めて、自分を納得させる言葉を自分につぶやいて、動かないということが多くあります。

拒否されるのが嫌で、臆病なのでしょう。だから、いつまでも一人なんだろうな。周りに人が居ても、一人だと感じるのは、壁を作ってたりするんでしょう。A.Tフィールドですね。

何の話でしたっけ・・・オリジナルの話でした!

自分という存在は、誰かから何かを得て自分を判断することで知っていきます。オリジナルが何か?は難しいです。どこかで影響を受けているんだから。

そう思うと、意図的であったり、丸々盗んだんじゃなかったら、大丈夫な気がしてきます。意図的でも、読者や観ている人と「こんなのあったよね」と共感することが目的であったらいいような気がします。私個人の考えですけれど。あ、もちろん、使うときは元の人の許可があった方がいいと思いますよ。著作権は権利です。楽しんで貰おうとして、怒られたらショックです。

今度本屋さんに行ったときに、純文学を一冊買ってみようかな。