『友だち幻想』(著:菅野仁)を読んで

本屋でタイトルに惹かれて手に取り、購入しました。

帯には「「世界一受けたい授業」で又吉さんが紹介して大反響!!」という文言があり、ちょっと手に取りにくかったのは愛嬌ですかね。

 

内容を見ると、小学校高学年や中学生、高校生向けで、他人とは何か?や、他人との距離などがわかりやすい文章で書かれています。

大人になった私にとっても、この本の内容は実になるものでした。学生生活の大半と、社会人になってからの少しだけ「みんな平等!」という意識を持っていた私には特にぴったりです。今は多少「公平」に近くなりましたが。

「みんな平等にしなきゃ」という意識は小学校3年か4年頃に思いました。学校ではみんな仲良くが求められていました。「嫌い」だと仲良くじゃないから、「苦手」と置き換えてまで、目指していました。

が、本当はそうではなく、お互いが傷つかない距離を探るのが大切でした。最低限の付き合いにとどめられるように・・・

そして、私はどこかで自分と他者をごちゃまぜにしていました。本当の相手を見てきませんでした。自分と他者は同じ感覚だと無意識に思って、守るルールや考え方も同じと思っていました。社会人になっても、その性善説みたいな意識は変わりませんでした。

私は私をそんなに悪い奴とは思ってなかったというのもあります(笑)

本当に100%自分と同じ感覚になる人はいません。私の「楽しい」と他者の「楽しい」は違います。他者とはわかり合えたように思えて、完全にはわかりあえていません。わかりあえたというのは、勘違いです。この勘違いに気づかずにいると、「好き」が「嫌い」になったり、「いじめ」に発展する関係になったりします。

だけど、私は他者と理解し合いたいし、信頼したいです。自分を受け入れて欲しいということを表す言葉が「絶対受容」というそうです。私もどこかで、自分を丸ごと受け入れてくれる人がいたらなぁ~と思います。が、そうではなく、「理解しようとしてくれる人」を見つけないといけないようです・・・!!

「丸ごと受け入れる」のと、「理解しようとしてくれる」のでは、少しニュアンスが違います。だけど、私は「理解しようとしてくれる」方が好きです。理解できないことがわかっている今だからそう思うのかも知れません。理解できないことがわかっていても、努力する・・・してくれるって、嬉しいです。だから、私も「理解しようと」します。全員は無理だから、2人の友達から・・・です!